合コンで、ブレない自分になりたいと思った時に読む本。

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この記事のポイント。

越後長岡藩家老河井継之助。大変動の時代、生き残ることよりも己の正義を貫くことを選択した男です。新しい勢力と古い勢力。日本中の人がどちらに味方すれば生き残れるのか悩む中、彼は「武装中立」を選択しました。

黒船が来て鎖国が終わり、幕府が無くなり新政府が誕生する。大変動の時代に己の正義を貫きます。ブレない生き方をしたのです。超高齢化やテクノロジーの爆発的な進歩… 現代も大変動の時代です。時代に合わせて変わっていくことも大切です。しかし、ブレない部分を持つことも忘れてはいけません。

合コンも同じです。素敵な人に出会ったら、自分を出す努力をすればいいのです。気に入られるための努力は必要ありません。自分を出してダメなら諦める。そこはブレてはいけない気がしています。ブレ気味な時に読みたい一冊です。

▼本文はここからです。

時代に流されない男、 河井継之助。

越後長岡藩家老河井継之助が主人公の歴史小説です。「あとがき」で司馬遼太郎さんは、この本の目的は、「侍とはなにか」ということを河井継之助を通して考えたかったというようなことを述べています。

侍とはなにか。河井継之助が亡くなったのが、1868年なので、たったの150年位前なんですよね。それでも、僕には全く想像できません。なぜそこまでして己の道を貫かなければならなかったのか。

河井継之助が何をしたのか。どのように生きたのか。ということは、この本を一度読んでみてもらうのが一番です。ざっくりと説明するのであれば、大政奉還後の日本では、幕府がなくなり、時流に乗った新政府が誕生しましたよね。その主役達は、薩摩・長州・土佐藩のある西国です。その混乱の中で日本全国の藩は、新政府側につくか、旧幕府側につくかを悩みました。全ての藩がどちらにつくのが自分達の藩にとっての最善かを考えていたのだと思います。

自分にしかできない選択。

勢いがあるのは新政府だが、旧幕府にも恩がある場合なんかだとこれは迷いますよね。旧幕府側につきたいと思っても、藩が無くなってしまう可能性も考えると、なかなか思うように行動できないケースもあったかもしれません。また、藩の中でも新政府につくという意見と旧幕府側につくという意見、両方の意見があり、藩の中でも多くの対立があったのだと思います。

その中で、河井継之助だけは違いました。武装して独立し中立であることを目指したのです。旧幕府側にも付かず、新政府にもつかず、ただ、長岡藩の立場を守る。ヨーロッパの永世中立国のスイスのようなイメージを持ったのかもしれません。

結果どうなったのか。司馬遼太郎さんの書く小説の内容を要約するのは、あまりにハードルが高すぎるので、これは是非『峠』を読んでみてください。

僕は、河井継之助の「生き方」に焦点を絞ってみたいと思います。皆さんもご存知だと思いますが、幕末といえば、世界がガラリと変わった時代ですよね。黒船が来て、鎖国をやめて、幕府がなくなり、薩長土の新政府が誕生する。武器や移動手段、服装さえもが劇的に変わっていきました。まさに大変動の時代だったと言えると思います。

なにか今の時代に似ていますよね。超高齢化やテクノロジーの爆発的な進化によって、現代も大変動の時代を迎えています。10年後、今の世界の常識が全く通用しない世界になっているかもしれません。その時代にどう生きていくのか。河井継之助の生き方は、一つの参考になるのではないかと思います。

自分の頭で考える。

まず、自分の頭で考えること。この本の主人公である河井継之助は、とにかく考え続けています。大変動の時代の中で、どのように生きていくのか。どうすれば、長岡藩が生き残れるのか。そして、戦争を避ける手段はどこかにないか。どこまでも考え続けています。

例えば、河井継之助が武装中立という立場を早くから捨てて新政府軍に味方したとしましょう。そうすれば、長岡藩は戦争することなく、無傷で済んだはずです。しかし、会津藩攻めの先鋒にはされたはずです。河井継之助はその選択をしなかった。己の「正義」を貫く選択をしたのです。

結果として、その選択は多くの犠牲を生みました。この本の解説にも述べられていますが、河井継之助の死後も彼を怨む人は多く、墓碑も何者かの手で打ち砕かれたと言います。このように、河井継之助の選択には賛否両論があると思います。そこを論じるつもりはありません。

生き様を持つ。

ただ、生き残るということを捨ててまで貫こうとしたその生き様。に心を打たれたのは事実です。なぜ、そこまで己の生き様を貫くことができるのか。むしろ、己の生き様を貫くことができる存在が侍というのかもしれません。

僕の感覚で言えば、命を捨ててまで貫きたい「生き様」なんていうものは持ち合わせていません。それは、現代では普通の感覚だと思っています。しかし、大変動の時代だからこそ、自分はどのように生きたいのか。そして、どのように死にたいのか。という自分が貫きたい「生き様」を一度考えてみることは、とても価値があることのような気がしています。

初めて日本にもたらされたガトリング砲3門のうち、2門を手に入れていることからもわかるように、河井継之助は、新しいものは積極的に取り入れています。しかし、その一方で、己の生き様を貫く侍であったわけです。

新しいモノ、ブレないモノ。

大変動の現代、新しいものをドンドン取り入れていくことは絶対に必要です。世の中の流れに乗っかること、世の中の流れを読むことも重要です。しかし、河井継之助が、正義を貫いたように、自分の中で「ブレないもの」を持つことも必ず必要な気がします。

これは合コンにも言えますよね。めちゃくちゃ気に入った相手と出会えたとしましょう。自分が好きなのと同じ位、相手にも自分のことを好きになってもらいたいですよね。けれど、注意したいのは、相手に気に入られるために頑張らないこと、だと思います。好きになった人だからこそ、素の自分を好きになってもらわなければ意味がありません。

好きな人が出来たなら、気に入られるための努力なんかする必要はありません。努力するのはただ一つ、自分を出すことを努力すればいいのだと思います。自分を出してダメなら諦めればいいのです。そこはブレてはいけません。

うたって踊って飲む。

河井継之助は、うたって踊って飲む、という飲み方がなによりも好きだったと言います。もし現代に生きていれば、合コンとクラブが大好きだったかもしれません。楽しむことがあるからこそ、エネルギッシュな生き方ができるのだと思います。この本と合コンで、皆さまの人生が更に豊かになることを願っています。

【引用・参考文献】
司馬遼太郎(1975)『峠(上・下)』新潮社

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