最低の合コンでも「そりゃぁええ!」となる本。

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興奮度★★★

この記事のポイント。

「びんぼう神」この神様が家に来るとその家は必ず貧乏になります。びんぼう神自身もこう言います。「そもそもおるだけで不幸になることしかしてやれんわしが、なんで神さんて呼ばれるんじゃろう?」

「福の神」この神様が家に来ると、多くの「福」がやってきます。その家に住む人は、まさに「裕福」な生活をすることができます。しかし、福の神はこのように言います。

「どうもこのごろどこの家に行っても、願いを叶えれば叶えるほど人間の顔が妙にギラギラして、人相まで悪くなるような気がして、すっきりせんのじゃ。」

一見迷惑な存在や経験が、大切なことを教えてくれるのかもしれません。合コンも、「合コンの神」が与える厳しい試練の時こそ得られるものがあるような気がしています。最低の合コンの後に読みたい本です。

▼本文はここからです。

びんぼう神、降臨。

この神様が家に来るとその家は必ず貧乏になってしまう。そんな神様が「びんぼう神」です。びんぼう神の楽しみは、自分が家に来たことでドンドンその家が貧乏になっていくのを見ることです。

そして、家の者が貧乏への不平不満や愚痴を言い出すのを聞くのが大好きです。身なりもボロボロ、まさに貧乏の化身です。いったい、どの辺りが神様なのかが良く分からないのですが、それが「びんぼう神」なのです。

そんな「びんぼう神」が家に住み着いたとしたら、ちょっと嫌ですよね。なんせ貧乏になってしまいますから。しかし、「びんぼう神」が家に住み着いていることに感謝する夫婦がいます。松吉とおとよの二人です。

そりゃぁええ!。

日に日に貧乏になっていく松吉とおとよ。ある日、ついに布団が一枚しか無くなってしまいます。そのことをおとよが松吉に伝えたところ、「そりゃぁええ!いつもくっついて寝りゃぁええでねえか」と松吉は言います。

すっかり二人の間でら喧嘩が始まると思い、ワクワクしたいた「びんぼう神」も、これにはがっかりです。普通なら貧乏が原因で喧嘩になることが、この二人には「そりゃぁええ!」となってしまい、貧乏が原因で更に仲良くなってしまうんです。

「びんぼう神」としては、張合いも無いし、いつも無視されているようで、これほど惨めなことはありません。更に、松吉とおとよの二人は、「びんぼう神」のために神棚まで作ります。ここまで感謝され居心地の悪くなってしまった「びんぼう神」は悩むようになります。

なんで嫌われもんのわしを、ただ神さんちゅう名前がついとるちゅうだけで、この家のもんは神棚に祭るんじゃろうか?そもそもおるだけで不幸になることしかしてやれんわしが、なんで神さんて呼ばれるんじゃろう?(高草,2000,p.8)

ここから、松吉おとよ夫婦に更なる困難が降りかかり、その困難を「びんぼう神」と共に?乗り越えていくというような感じで物語は進みます。「びんぼう神」が家に住み着いているかも、という時に読んでみたい一冊です。今の困難に対して「そりゃぁええ!」と思えるようになるかもしれません。

ちなみに僕はこの「びんぼう神」の悩む部分が大好きです。なぜなら、僕の持った疑問と全く同じだからです。住み着いた家を貧乏にすることがなぜ神様の仕事なのか。そのことにどんな意味があるのか。さっぱり分かりませんでした。

けれど、よくよく考えてみると、それが「神様」なのかもしれない訳ですよね。この物語にも登場しますが、「疫病神」や「死神」というのもいるんですよね。疫病や死を運んでくるとしたら、厄介者でしかありません。けれど、その厄介者を昔の人達は「神様」にしたのです。

福の神、降臨。

逆に、この物語には「福の神」も登場します。福の神が住み着いた家には、その名の通り多くの「福」がやってきます。その家に住む人は、まさに「裕福」な生活をすることができます。こう聞くと、自分の家にはどうせなら「福の神」に来て欲しいですよね。けれど、「福の神」は物語の中でこのように言っています。

わしはもうこの家に嫌気がさしてのお…。この家のもんときたひにゃぁ、次から次と欲かいた願い事は言うわ…願い事を叶えたら叶えたで、すぐに文句は言うわ…もう、うんざりじゃ。[……]福の神と言われてはいるものの、どうもこのごろどこの家に行っても、願いを叶えれば叶えるほど人間の顔が妙にギラギラして、人相まで悪くなるような気がして、すっきりせんのじゃ。(高草,2000,pp.12-14)

ドキッ!。確かに「福の神」の言う通りかもしれません。ああなって欲しい、こうなって欲しい、あれが欲しい、これが欲しい… 。どこまでいっても、もっともっとになってしまっている自分がいます。

いまの自分が、いま持っているモノで満足出来ていない訳です。だから、「福の神」にもっともっととお祈りするという… 。こう考えると、福を運んできてくれることが果たして本当に幸せなのかどうかが分からなくなりますよね。

そして、「びんぼう神」が住み着いていることが不幸とも言えない気がしてきます。既に裕福なのに、もっと欲しいもっと欲しいとなっている二人。貧乏なのに、「そりゃぁええ!」と言える二人。「福の神」が来れば幸せになれる訳ではないし、「びんぼう神」が来たから不幸な訳ではありません。

合コン神、降臨。

もし合コンにも神様がいたら… ということも考えました。「合コン神」です。僕もよく「合コンの神様が微笑んでくれることを祈りましょう!」と言うようなことを言ったりします。

「合コン神」とはどんな存在でしょうか。恐らく、「福の神」とも違うし、「びんぼう神」とも違うような気がします。微笑んでくれる、つまり最高の合コンにしてくれる時もあります。しかし、厳しい試練(おっ!全くタイプじゃないぞ!)を与えてくる時もありますよね。

先史時代に崇拝の対象となっていたとされる地母神は、生の神であると同時に死の神でもあります。日本神話のイザナミは、日本の国を全て生み出した母の神であると同時に、黄泉の国を統治する死の神でもあります。確か『もののけ姫』に出て来た「シシ神」も、傷を癒してくれることもあれば、命を奪うこともありましたよね。つまり、「神様」とは自分の願い叶えてくれるだけの存在ではないのだと思います。

びんぼう神のせいで、決して有り余るほど豊作にはならんかった。みんなが、つつましく、ほそぼそと暮らせるほどの実りだけじゃった。それでも、もう、この村には不足を言うもんは一人もおらんかった。(高草,2000,p.55)

この物語の「びんぼう神」のように、一見迷惑でしかないような存在こそが、本当の幸せについて教えてくれているのかもしれません。合コンでも、「合コン神」が微笑んでくれた時だけではなく、厳しい試練を与えてくれている時にこそ、「得られるもの」があるような気がしています。

本には人生を豊かにする力があり、合コンにも人生を豊かにする力があります。この本と合コンで、皆さまの人生が更に豊かになることを願っています。

【引用・参考文献】
河合隼雄(1994)『昔話の世界:河合隼雄著作集第5巻』岩波書店

高草洋子(2000)『びんぼう神様さま』地湧社

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majima.minoru

これまでに4000件以上の合コンをセッティングし、4000件以上の合コンを見てきました。
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